毎年楽しみなNHK大河ドラマ「光る君へ」
出だしは合戦がないから視聴率が下がり気味でしたが、今は恋愛ドラマの名門脚本家が手掛けただけあり、恋愛ドラマ的要素が女性に受けて、視聴率がうなぎのぼりです。
最初に驚いたのは、主題曲のピアニストがショパンコンクール2位となった世界的ピアニストだったことです!
繊細なピアノの音色に引き込まれそうになるオープニングの曲ですね。
今回は大人気の「光る君へ」の大まかな流れを解りやすく解説します。
「光る君へ」は世界的ピアニストの音楽からスタート
オープニングの音楽が、ショパンコンクールで2位になって、最近、同コンクール4位になった方と結婚し、子供も生まれたばかりの反田恭平さんでした。
いま日本一コンサートチケットが取れないアーティストと言われています。
奥様は反田さんと幼馴染で同じ学校出身の、まるでのだめカンタービレのような関係性で結婚した小林愛実さんです。
まず紫式部とはどんな人?
彼女は天皇の妻である彰子に十分な教養を身につけさせるために、彰子の父、藤原道長に頼まれ家庭教師を務めています。
その傍ら書いたのが源氏物語。これは彰子が宮中で脚光を浴びるために紫式部が書いたものでもあります。
宮中の中ではやる小説を紫式部が書くことで、ライバルの定子より、貴族たちを彰子の方に目をむかせたとも言われます。
清少納言も、対する定子の女房として、定子が宮中で注目されるように、みんなの目を引く随筆を書いていたのです。
当時紙は希少だったので、簡単に小説など書くことはできませんでした。
道長からは、紫式部は、当時は希少だった紙や硯を道長からもらったりして、道長は執筆活動の大きな支援者となりました。
紫式部と道長が愛人関係か?
紫式部には、道長と恋愛関係にあったという説が有り、その理由に貴族の系譜を記録した『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく)という本の中で、
紫式部について「源氏物語作者」「道長妾(めかけ)」と記されています。
これが愛人説が生まれたきっかけです。
しかし尊卑分脈は一部の記述の信憑性が低いとも言われています。
実際、紫式部が残した『紫式部日記』には、彼女が道長のアプローチを断っていたらしい内容が書かれていました。
道長は紫式部に
「あなたはさぞ恋愛経験が豊富で、よく口説かれもするでしょう」
という内容の和歌を送ってきました。それに対し紫式部が返した和歌は、
「私は誰にも惹かれておりません。心外です」
という内容でした。
また紫式部日記にはこんな記述もあります。
夜に寝ていると、道長が部屋を訪ねてきて一晩中戸を叩かれたが戸を開けていたら後悔していたでしょう
とも記されています。
これでは、恋愛関係出会ったというのは間違いの様の思いますが・・
脚本家は、今回「セックス&バイオレンス」のドラマを作りますと最初に提案を出したと言われます。
「光る君へ」は紫式部と道長の身分を超えられない切ない恋愛や、一夫多妻制の妾側と本妻の違いや妾側の苦しみなども描いています。
紫式部は身分が低かったため、愛し合いながら、北の方(本妻)にはなれず、妾(しょう)になってくれと道長に頼まれるもの、妾の辛さを、道長の父の妾だった人から聞かされ、結婚を諦めるのでした。
ただし、愛が消えることはない・・
そこで苦しみながら逢瀬を重ねる大恋愛ドラマという感じになっています。
大河ドラマ「光る君へ」のおおまかなあらすじは?
大河ドラマは紫式部と藤原道長との関係性を描いていくようですが、実際この二人はどのような関係だったのでしょう。
幼い頃、道長と運命の出会いをするが、運命に引き離されてしまう。
その後、父の受領(ずりょう)としての赴任先・越前に同行した紫式部。一方で、道長は権力のつけ始める。
父は身分が低かったもの、道長が紫式部を大切にしている思いから、紫式部の父を出世させたのである。
その後京に戻った紫式部は、父ほども年の離れた藤原宣孝(ふじわらののぶたか、佐々木蔵之介)との結婚をし、娘を授かったものの、わずか一年で夫が急逝し、あという間にシングルマザーとなる。
ドラマの中ではこの娘は、道長の子であるが、藤原宣孝(夫)も自分ノコでないのは知りながら、道長の夫というだけで、出世させてもらえるので、割り切った結婚だった。
権力をつけ始めた道長は、天皇の祖父=外戚(がいせき)となるため天皇に娘を入内(じゅだい)させた。
自分のまだ12才の娘だったが、幼児は出世のために娘を使うことは普通だった。
一方子育てのかたわら、紫式部は小説を書き始めた。
当時は紙は貴重だったのだが、小説を書けたのは、大きいバックアップがなければできないことだった。
紙を準備して、紫式部に小説を書ける環境を作ったのが藤原道長だった。
「源氏物語」の評判はまたたく間に広がり、まひろ(紫式部)は、道長から、娘に后としての教養を授ける家庭教師として宮中に上がるよう呼ばれました。
こうして道長の娘の家庭教師として道長のそばで活躍していくこととなるのです。
清少納言と紫式部の関係性は?
二人はライバルのように思われがちですが、実際二人が宮中で活躍下敷きがずれており、噂は聞いても直接会ったことはなかったというのが正しい説のようです。
ドラマの中では二人は良き友人として出てきます。
ただし、それぞれが使えた女性が、一条天皇の正妻でした。
このときは例外的に正妻を二人持ったのです。
天皇の正妻二人ということは、それぞれが違う権力者の娘ということで、どちらが寵愛を受けるか、どちらが跡継ぎを生むかというバックグラウンドは家同士の戦いがありました。
道長の娘の教育者が紫式部で道長系列、ライバル定子に使えたのが清少納言でした。
まとめ
大河ドラマは歴史を扱った物が多いですが、歴史は過去のことであり、資料も必ずしも多く完璧な情報源としては残っていません。
そのため脚本家が自分のイマジネーションを取り入れつつ、真実とは違う脚色を加えて話を面白く作り変えていることが、「光る君へ」でもわかります。
それでも大方の筋はもちろん、当時の慣習や生活を知ることができ学べるのは、大河ドラマの良いところ。
これからも反田恭平さんの美しいピアノの音色とともに楽しんでいきたいと思います。
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